気がついたらめちゃくちゃ涙もろくなっていました。
でも学生時代の頃は「泣きたくなっても泣かない!」とコントロールできていたように思います。
負けん気が強すぎて人に泣いているところを見られたくないあまり、一緒に映画館に行っている友人と反対の方向の目だけ涙してたこともあります(´∀`*)
友達が右側に座っていたら、泣いていることを悟られないように静かに左目だけ泣くという(゚∀゚ )ナニソレ~
今思うと変な意地ですよね。
でも最近は涙を我慢するということがまったくできません。
ニュースを観ていてもすぐ泣くし(最近はニュースをみること自体避けていますが)、自分ではなぜか分からないタイミングで泣くことも多々あります。
以前、ご神体となる山を登っていて泣けてきたことがありました。
なぜか分からないのですが、急に感謝の気持ちが湧いてきたのです。
これがありがたい気持ちというものなのか!
と驚くほど、心の底からありがたかったです。
それでポロポロと泣けて…というか号泣しました。
その時の経験が不思議でたまらなかったのですが、のちのち桜井識子さんのブログに「魂が気づきを感じて感激して泣く」ことがあると読んでとても納得しました。
そしてそれから、どうやら自分の意識レベルとはまた別の次元で泣くこともあるんじゃないかなーと思っていたのです。
つい先日の伯父さんの葬儀でも、似たような経験をしました。
そういえば最近は「死」について前向きに受け入れられるようになってきています。
これまでは「死」というものが怖くて怖くて仕方なかったのです。
最愛のおばあちゃんの死も、幸せの絶頂にいた友人の旦那さんの死も、そして自分自身がいつか死んでしまうということも、どれも受け入れがたいものでした。
けれど死後の世界があって生まれ変わることや、この世でやりたいことを自分が計画していることなどを知って信じるうちに、耐えがたい苦しみではないと思えるようになってきたようなのです。
そんななかお通夜に参列しながら、伯父さんは自分の死を受け入れられているだろうかと、ふと思いました。
生まれてくる前に自分で計画していたとはいえ、まだやりたいことがあったんじゃないだろうかと思ったのです。
自分の死をそう簡単に受け入れられるのかも疑問に思いました。
読経を聞きながら祭壇を見つめ、「大丈夫やでー!光が見えたらそっちに行くといいねんて!」と桜井識子さんが書いてくれていた知識を頭の中で話しかけました。
私の心の中ではなんとなくモヤっとしていて、気持ちは晴れません。
次の日の告別式にも、なんとなく同じことを考えていました。
焼香を終えて、出棺の準備をする前のことです。
ふいに伯父さんが笑顔でこちらを見て座っていて「そうか!」と言っている声が聞こえた気がしました。
その瞬間に泣けてきたのです。
それからちゃんと私の言葉が届いたような気がしました。
その後、棺に花を差し入れて最後のお別れをしたのですが、不思議と心のモヤが晴れていました。
49日まではまだこの世の近くにいる状態だと思うのですが、私は出棺前に何かある気がします。
心の晴れる何かしらの出来事です。
肉体を焼かれる前に本人が死を前向きに受け入れるのでしょうか。
去年の伯父さんの葬儀にも感じていたので、今回ますますそう思いました。
あくまで今の私の感想ですヽ(´ー`)ノ
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