そのあととんでもなく落ち込んで、自分の選択に後悔しまくって、なんにもヤル気が出ないという出来事がありました。
振り返ってみると「自分の感覚を信じる」ということがどういうことなのかを、身をもって実感したできごとです。
どん底な気分まで落ち込んだトラブル
詳しくは記しませんが、ことの発端は昨年の秋のこと。
同級生に誘われて大きなイベントに参加することになりました。
何となく気持ちに引っかかるものがありましたが、そのイベント自体がおもしろそうだなと考え直し「いいよ!」とすぐに返事。
年明けから本格的にスタートすることに。
準備をすすめ、1月中にイベント本番を迎えます。
この本番が大失敗に終わるというか…私自身が悔やんでも悔やみきれないほどの後悔を残してしまうことになります。
このイベント内でのサプライズの一幕をきっかけに、幼なじみとの友情にひびが入ってしまったのです(;▽;)
それぞれの人の想いがちぐはぐになってしまい、友人を怒らせてしまいました。
神様がトラブルを避けなかった理由
さかのぼって、年末年始のことです。
このイベントについて色々うまくいくように神様にお願いしました。
最初にお願いしようとしていた神様はとても力の強い神様だったので「一日で終わるこのイベントのことより、一年のお願いをしよう!」と思い改めました。
次にお願いした神様はいつもと違って口をつぐんでいるような雰囲気。
がんばれと応援してもらっているような感覚はありましたが、おみくじでは大きなトラブルを暗示するものでした。
どうしてもトラブルを回避したいので、イベント直前にもう一度神様のところに行こうと予定していたのに、思いがけない来客があって行けずじまい。
そして前日に観た夢には不吉なシンボルが何度も何度も出てきて…
結果、大きなトラブルを避けることはできず。
自分自身ではどうすることもできなくて、大泣きしてしまうほどの出来事となってしまいました。
「こうなるなら最初に引き受けなければよかった。」
「なんでこんなことになってしまったんだろう…。」
ぐるぐると思考がめぐります。
頭を整理していると、ノリで簡単に「いいよ」と言ってしまう過去の自分がでてきました。
振り返るとこれは私の悪いクセで、一日限りの約束だけでなく職業や重大なことをノリで決めてしまったことが何度もあるのです。
「あなたが言うなら、それを信じよう」
「全然それをするつもりはなかったけど、せっかくお話があったから受けてみよう」
「これも何かの縁だと思うから、やってみよう」
みたいなことです。
『あぁ、このトラブルはノリだけでイエスと言ってしまう私を考えなおさせるために、経験しなくてはいけなかったのかも。だから神様はトラブルを防いでくれなかったのか~。』
と思いました。
ノリだけで簡単に進むなというよりも、自分の気持ちをおざなりにしてその場の雰囲気に流されるなということです。
大事なのは自分がやりたくてそれをやっているのか、
他人に満足してほしくて選択していないか、という点です。
よく考えれば高校生までの私はノリを気にせず、我が道をいっていたような気がします。
それが短大の寮やサークルに入ってから大勢の友人と一緒にいるようになってから「ぷれなといると楽しいと思ってもらいたい」「ぷれなは楽しい人だと認識してもらいたい」というような気持ちが芽生えて、ノリを優先し始めたことに、今さらながら気がつきました。
そのときに自分の胸の奥で『ザワザワッ』としていても、そのまま突き進んできたのです。
注意信号のザワザワがあるなら、自分の気持ちに敏感になって一旦立ち止まることは、自分を大切にするということなんだと、今回のトラブルで改めて感じました。
自分のことを差し置いて相手の気持ちを優先してあげたいと思ってしまうクセを、もうここで完全に断ち切ります。
これは私にとって、相手に認めてもらうことで自分の価値を見い出そうとするよくないクセなのです。
今この瞬間の決定は、その後の人生を決定づけるということ。
身をもって経験したので、ようやく大きな気づきになりました!