おばあちゃんっ子だった幼い頃に、自然と身についた宗教観だったかもしれません。
一緒にお寺のお参りについていって、お経をあげたり説法を聴くのが好きでした。
仏様か神様か、何かしらの大きなパワーがあることをすんなりと信じられていたのも、この経験が関わっていると思います。
何かがあれば「それは神様がこうした方がいいって言ってるのかもしれない」と思うような感覚です。
霊感はありませんが、小さい頃からちょっとした不思議体験をしていたような記憶があります。
夜寝る前には、よくピカピカとした光がふんわり飛んでいて、「あれ何かな?」と母を驚かせていたこともありました。
母はまた、そういう目に見えない世界をまったく信じないタイプなので、そんなことを言う私に「おばけよ!」と取り合ってくれませんでした。
小学生になりエスパー魔美に憧れ、小学生向けの「超能力者になる本」や「霊能力者になる本」をよみあさり、いつか私もスゴイ能力を身につけられるのでは?とワクワクしていたことも覚えています。
中学生になってタロットカードで友達の恋の行方を言い当てたり、何かの葉っぱを自分の部屋でこっそり焼いたりしていて、今思えばあの頃は魔女に憧れていたのでしょうか。
高校生では、パワーストーンに興味を覚え、バイトしてラピスラズリを購入しました。
そんなスピリチュアルにまっしぐらな私が、いつしか自分がとってもスピリチュアルな要素でできていることを否定し始めます。
おそらく友達との会話でスピリチュアルな話題が怪訝がられることを感じ取ったからでしょう。
目に見えない感覚の話題は(例えば、あの神社の山はパワフルなので、行くと必ずパワーをもらえる!とか)信じてもらえないだけなく、まっこう否定されたり、ちょっと頭がおかしい人だと思われることがあります。
第一に母は私に「またそんなこと言ってる!」と今でも言います。
なので自分の思ったことをそのまま言うのをやめていました。
そこに自覚はなかったのですが、諦めていたように思います。
その後、スピリチュアルな世界と、仏教や宗教、ヨガや哲学、心理学や脳科学の世界に通じるものがあると気づき始めました。
世の中の真理はたったひとつで、それを違う角度から見ているだけなんじゃないかな!と発見したような気分になりました。
それから私は、脳科学や物理的にスピリチュアルなことを言えないだろうかと考えるようになりました。
でも、この間のインナーチャイルドのワークをしてもらって分かったんです。
自分の意見に自信がなかったからだ、ということに。
自信がないし、認めてもらえないから、「脳科学的にも……」などと友人に話すことで、スピリチュアルを正当化しようとしていたのです。
今は、もっとストレートな自分でいようと思います。
スピリチュアルな感覚を大事にしている自分。
スピリチュアルな人間だ、と堂々と言える自分。
またここからスタートです。
今日は「すべてが繋がっていくもんだなあ」と、思い返しつつ決意宣言してみました٩(ˊᗜˋ*)و