夢を語る

「今まで人に助けられてきた人生だから、これからは人様の役に立ちたい」古仁屋のネリ家(ねりや)にて

2022年1月20日

古仁屋 ネリ家 節子さん

ネリ家の節子さんはみんなのお母さん

奄美大島の古仁屋には、みんなのお母さんのような存在の節子さんが暮らしています。節子さんは私にとって、いろんな刺激をくれた人です。

私が初めて節子さんにお会いしたのは、奄美大島で一番高い山「湯湾岳(ゆわんだけ)」に登ることになったのがきっかけでした。

ハブも出てくるであろう湯湾岳に一人で登るのが怖くて…「でも絶対に登りたい~っ!」と思っていたある日のこと。

高知山展望台でたまたま出逢った方が、偶然にも山岳ガイドをしている方で、湯湾岳に連れて行ってくれることになりました♪

その方から「口コミだけでやっている一棟貸しの宿があるよ」と紹介してもらったのが、節子さんの営む簡易民泊『ネリ家』

最初は登山日も含めて3泊だけのつもりが、次の予定地へのフェリーが悪天候で運行されず、結局6連泊することに(笑)

その滞在中に節子さんから聞いた、今までに宿泊されたお客さんのお話が、まるで映画のようなストーリーでした。

 

フェリー乗り場でプラカードを下げた若者の望みは…エニヤバナレ

古仁屋 ネリ家 節子さん

フェリーから見た古仁屋の町

ある日の夕方のこと。

節子さんは、瀬戸内のフェリー乗り場でプラカードを下げた若者に遭遇します。

彼の胸元には「エニヤバナレに行きたい」と書いた文字が。

エニヤバナレ(江仁屋離)とは、加計呂麻島の実久(さねく)集落より北西沖1.5キロメートルに位置する無人島のこと。

節子さんは思わず若者に近寄って「どうしてエニヤバナレに行きたいの?」と聞いてみました。

すると彼は、小学校6年生のときにエニヤバナレでキャンプした思い出がどうしても忘れられず、またそこに行きたいという思いでやってきたと熱く語ります。

しかし無人島に渡るには、まず船をチャーターすることが必要です。

ここにきて何万円もの出費となることがわかり、そんなお金は持っていないからと、ヒッチハイクよろしくプラカードを下げて誰か声をかけてくれるのを待っていたというのです。

いずれにせよ加計呂麻島にも渡れないような時間帯。

節子さんはとりあえず今日はネリ家に泊まってはどうかと提案し、知り合いにエニヤバナレへの行き方を知っている人はいないか探しました。

そのうち、エニヤバナレに上陸するためには実久集落の区長さんに許可してもらう必要があることが分かり、しかも破格の値段でエニヤバナレへ連れて行ってくれる人を探し当てることができたのです!

若者は大変喜んで無事エニヤバナレに渡り、そして地元に帰る前にお礼を言いに『ネリ家』を再び訪れました。

感謝をどう表したらいいのか分からずにいた彼に、節子さんが言った言葉は、

「この先あなたが家庭を持つことになって、誰か困っている人がいたら助けてあげてね!」と。

彼の途方もないと思われた願いは、一瞬にして叶ったのです。

 

奄美大島のノロに会いたいとやってきた60代の男性は…

奄美大島のヒカンザクラ

奄美のヒカンザクラ(2022年1月19日崎原桜通りにて)

知り合いの喫茶店から紹介されてやってきた60代の男性は、ネリ家に到着したときあまりにも暗い表情をしていました。

とはいえストレートに「どうしてそんなに落ち込んでいるんですか?」と聞くわけにもいきません。

お茶を出し、夕飯を一緒に食べているときに、少しずつ男性が話してくれました。

今は島根に住んでいるが、いずれは南の島に住みたいと思っていること。

これまでにいろんな災難があったこと。

それから奄美大島のノロに会いたくて来たのだが、知り合いはいないか?と言います。

ノロとは琉球王朝時代から存在した女性祭司のことで、王府の主権者です。

「今はもうノロはいないが、ユタなら知っている」ということで、節子さんがユタのところに連れて行ってあげることになりました。

その後、ユタとの話を終えた男性は、明らかに晴れやかな笑顔に一変!

「ユタから、家に帰ったら出雲大社を参拝するように言われたので行ってきます」と明るく教えてくれたそうです。

節子さんはそれ以上、何も聞きません。

詳細を聞かなくても、”彼の気持ちが軽くなって、奄美に来た意味があった”ことは明白でした。

 

『ネリ家』は夢を叶える宿

古仁屋 ネリ家 節子さん

私は節子さんの話を、昔話を読み聞かせてもらっているような感覚で興味深く聴いていました。

物語の登場人物となるひとりひとりの人生が垣間見えたから、余計に面白いと思ったのかもしれません。

何度かネリ家に宿泊したことのある男性は、昨年末に彼女を連れて「来年、結婚する予定です!」と報告しに来てくれたそうです。

「二人は奄美でネリア婚することになるかも!」と節子さんがウキウキしながら教えてくれました♪

ネリア婚とは浜辺で行う人前式(ビーチウェディング)のこと。

海の彼方から幸せがやってくるという「ネリヤカナヤ伝説」に基づいて、母なる海や大自然の神々、ゲストの方々の前で愛を誓う結婚式です。

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実は私が「旅の途中で出逢った素敵な人たちに夢を語ってもらい、それをブログに残しておきたいな」と思うようになったのは、節子さんがきっかけなんです(✿˘艸˘✿)

ネリ家に滞在中に、節子さんから古仁屋だけに残る文化や食生活、土地の歴史、茶道のいろはなど本当に多岐にわたって教えてもらいました。

その中で感じた新たな発見や、それを教えてくれた節子さんを私一人の頭の中に置いておくのはもったいないな…から思いついたのが「夢を語ってもらう」でした。

今回、古仁屋に戻ってきたら、絶対に節子さんにインタビューするぞ!ということで。お散歩しながら夢を語ってもらいましたよ♪

 

節子さんの3つの夢

古仁屋 ネリ家 節子さん

楽しいことが大好きな節子さん

さて!節子さんの夢は何ですか?
第1の夢は、お客様が楽しんでもらえるように全力を尽くしていくこと。お客様がしたいと思っていることを自分がサポートできれば一番いいなと思ってます(^^)
今年で5年目となるネリ家ですが、もともとはお兄さんの意思で始めたんでしたよね?
そうね、民宿を始めるのは本当は兄の夢でした。奄美を出てずっと大阪で暮らしていた兄が退職を機に、精力的に奄美のことを知ろうと勉強を始めて。奄美の島唄や文化を一生懸命に学んでましたよ。ちょうどいいタイミングで実家の隣が売りに出されたので、県外の人にも奄美のことをよく知ってもらえるように民宿をつくろう!と。リフォームをしていよいよスタート、という矢先に亡くなりました。
節子さんが60歳のときですね。その頃に節子さん自身も大病をされて大変だったんじゃないですか?
そう、ステージ4のガンが発覚して。でもそのことがあったからね。今まで人に助けられてきた人生だから、これからは人様の役に立ちたい!と思って始められましたよ。リハビリもひと段落して、ネリ家は私が61歳の時にスタート。お客様と関わっていくことで免疫力もあがったし、何も苦にはならなかったなあ。
ネリ家の予約は口コミのみですよね。ネットなどで公表していないのはどうしてなんですか?
それはね、お客様に細やかなケアをしたかったからです。宿で生計を立ててるわけじゃないし、お客様の出入りが多くなって流れ作業みたいになるのだけはイヤだったの。奄美のことをいっぱい知ってもらいたいし、お客様に心から楽しんでもらいたい。それから私自身も楽しみながらやっていきたいと思ったから。ネリ家を残してくた兄には本当に感謝してるんです。

今は口コミだけなのに、色んな人が来てくれます。もう、いいものを食べたいとか、いいものを着たいとかまったく思わないよね。それよりもささやかなことでもいいから、私がやったことで誰かが喜んでくれるのが一番嬉しいな。

素敵ですね。それから節子さんにはもう一つ夢がありましたよね⁉
そうね!第2の夢は、ピースボートに乗って世界を一周すること!ネリ家は10年間だけ営業する、と決めて始めたので、そのあとは世界を旅したいと思ってます♪
節子さんは、国内旅行もあちこち行かれてましたよね!
そうそう、若い頃に国内はたくさん行ったから、今度は海外にね!で世界旅行から帰ってきたらボランティアもしたいと思ってます。これが第3の夢!
そうなんですか!? たとえばどんなボランティアを?
小学校の通学路で朝の旗振りをしたいな~!それからパッションフルーツ農家さんのお手伝いもしたいと思ってます。受粉とか摘果とか、箱詰め作業とかもね。
そういえば!節子さんのスイーツ美味しいから、スイーツ作りも続けてくださいよ♪
そうね、スイーツ作りは続けたいね(^^♪
古仁屋 ネリ家 節子さん

フットワークの軽い節子さん

ネリ家の台所の壁には、これまでに宿泊した方から届いた感謝の手紙や笑顔の写真がたくさん貼ってあります。

いつも明るくて好奇心旺盛で、シャキシャキッと行動していく節子さん。

つかず離れずそばにいてくれる距離感が、とても心地いいです。

私よりも身のこなしが軽く、散歩の途中にあった石の柵をひょいっと越えていきました。

こんな調子でサクッと世界も一周してきて、また楽しい旅の話をしてくれるんだろうなあと夢がふくらみますo(*^▽^*)o

 

お話を聞いた日:2022/1/18(火)

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