※現在、高野山の奥之院では燈籠堂改修工事による参拝制限が令和7年(2025年)8月末頃まで予定されています。2034年には「弘法大師御入定1200年」を迎えるため、今後も高野山内でさまざまな工事が検討されているとのこと。高野山にお出かけの際には公式ホームページなどをご確認されることをおすすめします!
奥之院燈籠堂改修工事による参拝制限のお知らせ(高野山真言宗 総本山金剛峯寺HP)
仕事がひと段落ついて、久しぶりの連休に!
せっかくの夏休みだから何かしたいな~と考えたときに、パッと思い浮かんだのが高野山の生身供(しょうじんぐ)でした。
『生身供』というのは、今なお高野山奥之院の弘法大師御廟で瞑想を続けている空海さんに、食事を届ける儀式です。
毎日午前6時と午前10時半の2回行われており、835年3月21日に入定して以来ずっと約1,200年間毎日続けられているという行事です!
毎日って、凄くないですか!?(≧▽≦)
1,200年間、毎日続けられているできごとって、世の中に他にもあるんでしょうか?
空海さんの偉大さや信仰への思いが伝わってきます。
面白いなあと思ったのが、御廟橋(ごびょうばし)手前にある御供所で調理された食事は嘗試地蔵(あじみじぞう)が、きちんと味見をしてから運んでいるということ。
この行事をテレビかインターネットかで初めて知って、一度は自分の目で見てみたいと思っていたんですね。
で、桜井識子さんの著書「聖地・高野山で教えてもらったもっと!神仏のご縁をもらうコツ」にも生身供について書いていたはず…ともう一度読んでみると「午前6時の生身供のあとすぐに朝の勤行が始まり、一般の人も参加できる」と書いてありました!
も~、これはめちゃくちゃ行きたい(*゚O゚*)!!
生身供だけなら午前10時半にも見学できるわけですが、なんとしても朝の勤行と合わせて見られる午前6時を目指したくなります。
15分前には奥之院中の橋の駐車場に着きたいので、午前4時には自宅を出発したいです。
天気予報はあいにくの雨、しかも降水確率80%…。
最近は大雨も多かったので「もしも起きたときに大雨だったら、今回はあきらめよう。小降りなら出発します!」と自宅の神棚や仏壇に御祈りをして眠りにつきます(^^)
天候に恵まれて高野山の生身供を目指す!
午前3時過ぎに目を覚まして恐る恐る外を見ると、どうやら雨は上がっていました。
やった!これは行くしかない!!
いそいそと準備します。
おかげさまで高速道路を運転中もまったく降らずに、東の空が幻想的な赤色に染まるのを見ながら高野山を目指すことができました。
高野山の手前では威風堂々とこちらを見つめてくる小鹿に出迎えられ、ますますテンションが上がります(≧◡≦)カッコイイシカサン~
ルンルンと鼻歌まじりで奥之院に到着!
生身供が始まるより先に、一度御廟へごあいさつに行こうと向かいます。
晴れがましくごあいさつして御廟を見ながら、しばし気持ち良い朝の空気を吸っていました。
しかし!時間に余裕があると思っていたのですが、あっという間にもう2~3分前に迫ってきていることに気づきます。
足早に燈籠堂の前に回って生身供が始まるのを待ち受けます。
私の他にカップルがいたので、私も同じ場所で見ようと厳かな雰囲気の中で待ち構えました。
なのに、もうすぐ来るよという段になって、私のメガネが急激に曇ってきました。
曇り止めを塗ったのに、何度か拭いて汚れを落としたときに一緒に取れてしまったのでしょう。
今から始まる生身供を見逃がしたくないと思いつつも。
このあともずっとマスクをしていて常に視界が曇っているであろうことを考えると、これはクリーンにしておくなら今!という気がしてきます。
大急ぎで再びメガネに曇り止めを塗って整えているうちに、もう向こうから山吹色の袈裟を着たお坊さんがやってくるのが見えました。
焦ってメガネを拭き直し、なんとか階段を上ってくる前には準備OK!
気が付くと先ほどのカップルの姿は見えず、私しか見学している人はいません。
あれ?この場所で見学していてもいいものだろうか??
と急激に不安になりつつ入り口の端っこの方に身をひそめるようにして、お坊さんが食事を納めた白木の箱を持ち返る美しい所作に見入っていました。
3人の僧が燈籠堂の中に入った後、はて、私はこの後ろを追って入っていいものだろうか?と躊躇します。
しばし考えて……
お食事が中に運ばれてしばらくしてから、私もそっと燈籠堂に入りました。
入口近くの方からでも十分にお堂の中が見渡せます。
靴を脱いで上がっている方も3名ほど見えましたが、私が今からあの場所に上がるのは遅すぎるのではないかとためらいました。
もう今まさに勤行が始まろうとしているので、ゴソゴソと動くのは失礼にあたるのではないかと思ったのです……
~つづく~
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