ぼんや~りと実体をつかみかけてはいるのですが、コレだ!という感覚ではありません。
『既にすべて持っているのに欲しがる自分』とか
『今持っているものをそっちのけで、新たな何かを欲しがってしまう自分』には、私らしい何かがありそうです。
そう言われれば、私は自分のこういう状態を長らく「向上心」だと思ってきました。
「もっと上へ!もっと高みを目指して!」
と自分を叱咤激励しながら今までやってきたフシがあるのです。
それは自分の未知なる可能性の扉を開けることだと思い込んできました。
小豆島霊場第72番「奥之院笠ヶ瀧」で『心の垢』の意味を知る
ただし「向上心」という名の「何かを目指す状態」は虚しいことだとも気づいていました。
だって「それは今ここにはない」と宣言しているようなものですから。
「私は常にほしいものを持っていない」という状態を自ら作り上げているようなもんです。
しかも夢見がちなのが致命傷で。
心のどこかに「いつの日か…スピリチュアルな力を大きく開花させて大きなことを成し遂げたいな」とか、
「いつの日か…めちゃくちゃ理想の男性に出逢って、しかも向こうから惚れ込んでもらえるようなシチュエーションがやってくるといいな」とか。
これって白馬の王子様を待つ夢見る少女のままですよねー(๏д๏)
物語の主人公の世界というか…幼稚な考え方というか…。
まぁまぁ…それはさておき、小豆島霊場第72番の奥之院「笠ヶ瀧」に行ったときに聞いてみました。
「心の垢って一体なんなんでしょうか?」と。
『すなわち他人によく思われたい心。チヤホヤされたいという心のことだ』
と教えてもらい、ハッとします。
私は同じ言葉を鵜戸神宮の波切不動さんにも教えてもらっていました!
波切不動さんには『私の自信が持てない理由』として教えてもらったのですが、まだ根深く残っているようです。
『他人によく思われたいとむさぼってもそこに終着点はなし。
それでは本当に満たされることにはならない。
自分を満たすということは、自己満足でよい。
自分を満たせるのは自分でしかないのだから。』
笠ヶ滝のお不動さんに教えてもらった言葉です。
他人によく思われたいと思う気持ちがまだまだ、まっだまだ深くあることに気づきました( ̄^ ̄)ゞ
これを持たない生き方をしてみようと思い描きながら、自分を発見する日々なのです。
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