
「絶対に自転車を降りない!!」
そう心に決めて登りきった先には…
絶景が広がっていました。
「よくやった私~🤩」
と最大限に褒めたたえます。
しばらく瀬戸内海の美しい景色に見惚れながら息を整え、山門に入りました。
西ノ滝で受け取ったメッセージが腑に落ちる

岩のてっぺんに真っ直ぐ伸びる白い棒!
山門を抜けると空気感が違います。
ゴツゴツとした岩山が見えていて、そこからものすごく気持ちのいいパワーを感じました。
岩のてっぺんにスッと天に伸びた棒が見えて「避雷針なのかな~」。
「確かに岩のすぐ下にお寺があるので雷が落ちてきたら大変だもんな~」とのんきに考えながら歩きます。
お寺の鐘をつき、大師堂へ向かいました。
お遍路さんをまわるときには、来たときに鐘を鳴らすんだそうです。
来ましたよ~というあいさつなので静かに鳴らすと良い、と昨日読んだところでした。
ちなみに帰りには鳴らすのは「出鐘」といって、お葬式のときにもちいるのでNGです。
大師堂には大きな空海さんがいらっしゃいました。
ニコニコと出迎えてくれているようなお顔に見えてありがたかったです。
その後にお堂が三つあって、参拝順路は案内板の通りに向かいます。
御真言と般若心経を唱えて心静かに参拝しました。
いろんなお守りや書いてあることが気になって読んでいると、水を入れるペットボトルが並んでいることに気がつきました。
その昔、悪さをしていた龍を弘法大師が封じて、あらゆるものに効く霊水が湧き出ている。
というようなことが書かれています。(ぷれなの意訳です…違っていたらすみません)
なるほど、仏像のすぐ左奥には洞窟内へと続く薄暗い道があり、この先に進んで良いようです。
行ってみると突き当りに霊水とお不動さんと封じられた龍(だったと記憶しています…)がいらっしゃいました。
その前にはお遍路さんがお経を唱えるためのものなのでしょうか。
護摩を焚くお坊さんが座るような一段上がって座る座布団が敷いてありました。
「ここに座ってお経を唱えてください」というような貼り紙があり、私も靴を脱いで座らせていただきます。
ご真言や般若心経を唱えていると、洞窟の薄暗くて静かな空間がとても落ち着いて、瞑想をしているときのような心地よさを感じました。
そのままお不動さんに手を合わせながら、なんとなく心の中で話しかけてみました。
「小豆島に来てよかったです~。
バス停の正しい場所を教えてもらったり、千枚田(棚田)の絶景フォトスポットを教えてもらったりしたんですよ。
みんな優しくて本当にありがたいです。」
すると、
『それは周りのサポートが半分、自分の意思が半分ある』
という感覚をお不動さんから受け取りました。
「周り」というのは信心している寺社や守護霊さん、ご先祖さんのことを指しています。
『バス停でも棚田でも、自分で「こうなりたい」と思ったのではないか?』と聞かれました。
たしかにそうです!
・・・このバス停じゃないっぽいけど本来は何時出発のバスに乗る予定だっけ?バス停の名前は?と焦って携帯で検索した画面を探しているときに声をかけてくれました。
・・・中山千枚田の中腹を歩きながら「上から眺められる場所があれば全景を見渡せて最高なんだけどなー。そんな道はないのかな。」と思いながら歩いているときに声をかけてくれたのです。
そうです!確かに答えを知りたいと求めていました!
『願いを叶えるには自分の意思が大事』だそうです。
ほかにもたくさん質問をしていると『お前は小豆島に心の垢を落とすためにやってきた』と言われました。
なるほど!だからこのお寺にたどり着いたのか!と腑に落ちます。
いつもは神社が気になるタチなのですが、小豆島だけはなぜかお寺が気になって仕方なかったのです。
「では、今の私に足りないものは何ですか?」と質問すると
『足らないことではなく、今あることに注目してごらんなさい』と教えてくれました。
そうでした!また私は今の自分ではない何者かになりたがっていたのです。
今の私で十分なのに。
旅をする体力と気力と健康があって、旅をするに十分なお金もあって。
やりたいことができる自由な時間があって。
それなのに、まだ足りないものを手にすれば完璧になれるのではないかという幻想を抱いているのです。
いろいろと個人的な質問をして、思い残すことなくその場をあとにしました。
~次回に続く~