小学生時代に遊んでいた友達のお母さんと話していました。
何か準備をしています。
そこへこれまた小学生の頃に遊んだ友達が「これからバーベキューに行く。男性を紹介してあげるからついておいで」と私に言います。
私は両手に食材を持ってついていきました。
坂道をくだり、河原のようなところを歩き、近くの建物…といっても屋根だけある海の家のような雰囲気の場所に入っていきます。
そこは河原で、まだ川ではないのですが、足元にはサラサラとした美しい水がたくさん流れています。
誘ってくれた友達が私の履いている靴が綺麗だと羨ましがって足元を見たので、美しい水が大量に流れているのをしっかりと見ました。
透明感が半端なく、それはそれは美しい水の流れです。
とても速く流れていますが、身体に負荷を感じることはなく、ただただ美しいのです。
靴の話をしているさなかに、これまた小学生高学年の頃、私が好きだった男の子がテーブル席に一人で座っているのに気がつきました。
バレンタインデーにチョコを渡したT君です。
彼は静かに笑っていました。
三途の川で久々に出逢った彼
ここまでが今朝の夢の話です。
とてもリアルだったし、かつて好きだった彼がどうして出てきたんだろうかと、目が覚めても気になっていました。
実はこの彼はかれこれ10年以上前に亡くなっています。
とても悲しい話でしたが、自死でした。
でも夢の中では彼が亡くなったことを忘れていました。
目が覚めてからふと気づいたのです。
「そうか!あの水の流れは三途の川なんだ!」と。
私はリアルな夢を何回か見ることがあって、今でも覚えている夢も多数あるのですが、
今までにも何度かあの水の流れを見たことがあります。
美しいなあ~としか思っていませんでしたが、
今朝は彼がそこにいたことで、三途の川なんだと分かりました。
般若心経が亡くなった方の供養になると聞いて、彼宛の般若心経を書いたことがあります。
もしかしたらT君はようやく成仏できたのかもしれません。
そうでなければ、あんな美しい水の流れの場所に、あんな風に優しく笑顔でいられないと思うので。
そう気づくとなんだか心がほっこりしました。
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